気まぐれ日記

誕生日は予定なしでつまらない時間を過ごしてしまう原因とは


Pocket

誕生日は予定なしでつまらない時間を過ごしてしまう原因とは

どうも。

母親に注意されただけで、惰性でキレまくって言わなくてもいいことまで、言いまくって、後悔してしまっている、あずえんです。

誕生日は、母親から何も言われなかった。

もはや、友達と呼べる存在もいないので、誕生日のお祝いをされることはなかった。

誕生日が近くなった日にフェイスブックの誕生日お知らせをONにしてみたが、フェイスブックの投稿に誰からもお祝いの投稿はされなかった。

スポンサーリンク

フェイスブックでつながっている友達のログイン時間を見たら、何人か24時間以内になっていたが、見て見ぬ振りをされた気がする。

確かに、僕もフェイスブックでつながっている友達登録されている人に、お誕生日のお祝いを投稿することはない。

他の人の投稿内容を見たら、ほとんどが、ありきたりなおめでとうの言葉ばかりだ。

それを読むたびに、フェイスブックでつながっているだけのつながりは、あってないようなものだなと感じていた。

誕生日に誰一人として、投稿されなかった結果を見て、フェイスブックの友達は、友達にもなれていない、フェイスブック知り合いだと感じた。

しかも、唯一の家族である母親からも、誕生日おめでとうの一言もなかったのだ。

僕は、誰からも生まれてきたことが、歓迎されていない人間として必要のなかった存在だったのだと、誕生日の夜はネガティブな気持ちに沈んだ。

スポンサーリンク

離婚して、出て行った父親からは、年に一度だけ、メールが受信されていた。誕生日のお祝いのメッセージと父親自身の現状と一言のメッセージが誕生日だけ毎年送られてきた。

もう、かれこれ5年以上はメールは送られてこなくなった。

僕がメールアドレスを変えてから教えなかったこともそうだが、母親が父親と関わらないでもらいたいと言う要望から、僕から父親に連絡をしなくなったことで、父親も無言の中から悟ったのか、誕生日のメールも送らなくなった。

僕は誕生日の月と誕生日当日は、いつも寂しい気持ちに覆われてしまう。孤独感が一層強さを増してしまうのだ。

誕生日を祝ってもらいたいと言うより、自分が存在しているか確認したいと言う気持ちが働いているのかも知れない。

誕生日を祝ってくれる存在がいないと言うことは、僕には友達はいないし、仲間と呼べる人間が一人もいないと言うことだと感じた。

僕の存在を知っている顔見知りはいるが、存在を気にしたり、頼りにしたり、用事があるほどの存在ではない人しか人脈がないのだと感じた。

僕には、助けたり、助けられたりするような人脈もないし、家族である母親もお手伝いさんくらいの距離感なのかも知れない。

こんなことを言いながらも、僕は父親と母親の誕生日におめでとうと一言だけでも、お祝いの言葉を言った事はない。

両親共に、僕には愛想を尽かしているのかも知れない。

結論は、誰からも誕生日を祝ってもらえないと言うことは、僕は誰の役にも立っていないし、誰にも手を差し伸べてきていない結果だと感じる。

誕生日を通して、自分の人脈の現状を振り返ってみて、僕は社会に何も貢献できていないことがわかった。

自分にできる社会貢献、社会奉仕は何かを考えていきたい。

では、また。

スポンサーリンク
Pocket


コメントフォーム

名前 

メールアドレス (公開されません)

URL (空白でもOKです)

コメント

トラックバックURL: 
アクセスランキング(過去7日間)
ブログ運営者

あずえん

Capricious diary(気まぐれ日記)を書いています。ジャンルは、バラバラです。非常に該当の記事を探しにくい仕様にしてしまっていますが、気が向いたら修正していこうと思っています。っと、言うか、ひそかにちょっとずつ修正している悪戦苦闘の日々です。このブログ以外に別に2つブログ運営しています。このブログの出来が一番ひどいです^^;

最近の投稿
人気記事
カテゴリー